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繊維工業の歴史と歩み
・山梨の機械金属・機械電子工業の歩み
『美術織り』の紹介

※『創立90周年記念誌』(平成8年3月1日発行/山梨県富士工業技術センター)より

山梨の機械金属・機械電子工業の歩み

1 揺藍期(〜明治・昭和)  2 終戦と経済混乱(昭和20年代)  3 朝鮮特需景気(昭和20年代後半)  4 技術基盤の確立(昭和30年代前半)  5 岩戸景気(昭和30年代後半)  6 機械金属工業同友会の活動と連合会の発足(昭和37年)  7 景気回復と労働力不足(昭和40年代前半)  8 ドルショック(ニクソンショック)(昭和40年代後半) 9 第1次石油危機(昭和48年) 10 円・変動相場制へ(昭和50年) 11 第2次石油危機(昭和53〜56年) 12 中央自動車道全線開通(昭和57〜60年) 13 甲府地域テクノポリス(昭和61〜62年) 14 バブル景気(昭和63年) 15 昭和から平成に(平成元〜2年) 16 山梨県工業技術センターの新築・移転(平成4〜6年) 17 日米自動車部品摩擦・阪神大震災(平成8年〜)

4 技術基盤の確立(昭和30年代前半)

 昭和25年6月25日朝鮮動乱が勃発し、動乱をめぐる国際情勢は険悪化の一途をたどり、我が国産業 も動乱の直接の影響である、特需生産と各国の軍備拡大経済の移行に伴う輸出貿易の増大が目立つてきた。

 この影響は本県企業にも余波的に効果があり、生産・金融・輸送等の面に種々の変化をもたら した。

(1).動乱期の生産状況

 本県企業の特需による影響は種類および規模において、直接的に受注する能力を具えた工場が極めて少なく、直接受注した工場はわずかに2工場に止まり、世間に特需受注の声が大きいにもかかわらず本県の場合は極めて軽微であった。

 特需の発注は契約量が大量でしかも規格、納期が厳格であるため設備、技術、資本等の態勢を具備しなければ直接の受注は不可能であった。

 本県業界のように戦時中より使い古された老朽設備と低い技術力および資本力不足から積極的受注に乗り出せないのがその実状であった。

 しかし京浜地区の特需品関係会社等の下請をするもの、あるいは特需品工場の隆盛につれて内需品が中小企業に振替えられたこともあり、全般的にみた場合25年における工場生産は6月を底として上昇して行った。

 特需の影響を受けなかったものとしては、オルゴール、メトロノーム、金銭登録機、南京錠、軸受 石等の優秀な技術による精密機械の部門と固定抵抗器を主体とする無線通信機部品製造業をあげるこ とができる。この部門は製品の特殊性とがあいまって順調な動き示し、製品の輸出についても絶えず 努力した。

 一方、機械不振の影響による繊維機械、および農機具の売行不振、代金の回収遅延等は以前からみ られ、一部企業は事業の縮小あるいは新事業への転換を図った。

 しかし、全般的には以前よりやゝ活発な生産を挙げつゝあったが機械の稼動率は60%程度にとどま り大部分の工場が遊休未稼動の設備を抱えた。

(2).動乱期の金融状況

この時期中小企業が最も困った問題は運転資金であり、大部分の企業がこれを渇望した。設備の更新や拡張もやらねばならず、やりたいのはやまやまだが、先ず「今日の経営」のための運転資金をというのが実状であった。運転資金は60日位の期間では困り、6ヶ月位の長期のものを借りたいというのがいつわざる声であった。

 県下の銀行はこの声に対して昭和25年3月から昭和26年4月に掛けての状況は、預金は順調に伸びているにもかかわらず、貸出は10月をピークに減少傾向を示した。

 これは季節要因やその他の要因もあるが、中小企業に対する県下金融機関の積極的な協力がなかったことを示している。

(3).動乱期の資材価格の変動

 この時期の物価は、非鉄金属、鉄鋼等を除き、大体公定価格であったが、動乱を境に綿糸、綿布、 鉄鋼材、非鉄金属、建築資材、カセイソーダ、ソーダ灰等が急激な行ォを続け、昭和25年末には5割 から2倍の値上がりを示した。

 これは動乱に伴う特需の増大による先高を見越した国際価格の上昇 による輸入価格の行ォと輸出の好況による国内向け供給品の品薄、あるいは補給金の撤廃による原料 行ォの影響を受け急騰したためであった。

 中小企業が主体の本県業界には、生産材の蓄積は極めて少なく、所要資材は随時東京市場から導入されていたので、本県の物価は東京市場価格に左右されて、特に目立った変化は見られなかった。

 鉄鋼類の価格は昭和25年7月1日鋼材の配給制度が撤廃され、関連して公定価格が廃止されてから徐々に値上がりした。その他、生産上必要欠くべからざる揮発油、軽油等はいずれも公定価格の2倍に、木材、釘、針金、亜鉛鉄板、セメント等の建築資材はいずれも特需の増大、品薄のため2〜3倍近く行ォした。

 また繊維品については、業者の思惑買付けが甚だしかったため、政府は緊急措置として暴利取締令を適用した。

(4).動乱期の輸送状況

 県下の輸送状況は動乱期まではいたって順調であったが、発展とともに特需のための輸送やその他 の特殊輸送が増加したため、一般物資の鉄道輸送は次第に緊迫してきた。

 鉄道輸送の悪化は本県鉱工 業のなかでも特に木材、カーボン、石綿、硫化鉱等資材の県外輸送に大きな影響を及ぼし、京浜地方 への輸送も特需関係以外は極度に抑圧された。

(5).異 常 渇 水

 昭和26年は異常渇水に見まわれて電力危機の声が高まった。そして、ついに9月には電力使用制限が行われ、公益事業委員会の週二日制休電措置が実施された。

 やや上昇過程にあった本県工業界に、このことで手痛い打撃となった。機械金属業界にもこの時点 で減産を余儀なくされたが、前年に比して活発な生産が続けられた。

 しかし、特需品は電気器具関係 で、東京に本社あるいは関連工場を有する2〜3の事業所が定期的に受注していたにすぎないが、地 方産業に与える好影響の一面として見逃せないものがあった。

 また、前年非常に順調であった固定抵抗器が輸出停止などから、全国的に生産過剰になり製品の滞貨がみられた。

 めっき工業は前年より30%の生産増を示し、順調であったが、昭和25年5月にニッケル等使用制限規則の施行に伴い、ニッケルおよび同化合物の価格が行ォするに伴い、入手困難を極め、原材料費と加工賃とのバランスがとれず、経営内容は生産高に比べ、あまりよくない状態が続いた。

(6).朝鮮動乱の終結

 昭和27年に入ると朝鮮動乱も終結の方向へ動きをみせ、本県工業界全体における特需受注は急激に 落ち込み、動乱勃発以来の最低を示すに至った。

 また、特需は米軍調達計画の推移に伴って、時期的 に大巾な変動を示したので、この点が特需受注企業の経営上における大きな悩みでもあった。

 機械金属工業界もこの影響(前年の30%減)を受けたものの、その品種は電動機、ドラム缶の口金等であって、いずれも民需に振り向けられたため、生産は比較的安定したものであった。

 しかしながら一般企業は依然として遊休設備を温存していたので兵器部品等の下請加工を希望する声もあった。

 特需によってもたらされた景気も動乱の終結情勢の度合とともに後退の色が強まり、特に、鋳造工業、季節的製品メーカは悪くなり、織機および同部品ならびに一般修理業もこの動乱景気の恩恵を受けることなく悪化の道をたどった。

(7)電力供給の混乱

 ここで特記すべきことは、昭和26年7月1日以降、電気事業を規律して公益事業令は、その根拠がポツダム勅令に置かれていたため講話条約発効後6ヶ月を経過した、昭和27年10月24日をもって失効 してしまい、従って同年12月27日「電気およびガスに関する臨時措置に関する法律」が施行されるまでは、一時電気事業を規制がないという珍現象を呈した。

 あたかもこの混乱期に当たって、いわゆる電産ストが勃発した。このため電力の需給は極端に不円滑をきたしたのである。

 電源の活動停止による電力不足は一般家庭はもちろん、工場や事業所への抜打的停電を余儀なくされ、昭和26年の渇水期停電以上の深刻な打撃を各産業は受けた。




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